あなたは、「良いことばかりが起こってほしい」と思うでしょうか?
パッと見、とても良いことのように思えます。
けれど、不思議なモノで、わたしたちは良いことばかりが起こると、それが“当たり前”になってしまい、喜びも感謝も薄くなってしまうところがあります。
それがしあわせで豊かなことなのか?と思うと、疑問が湧いてきます。
もちろん、良くないことばかりが起こったら、とても不幸な感じがするかもしれません。でも、よくよく考えてみると、生まれてこの方、ずっと不幸な状態だったとしたら、“それを不幸”とは認識しないと思いませんか?
たとえば、お金持ちの家に生まれて、ずっとお金について、良くも悪くも、何も考えなくていい状態で生きていた人がいたとして。親が誰かに騙されて、いきなりお金が無い状態に陥ったとしたら、その記憶は強烈に残りますよね。とても不幸に感じるかもしれません。
しかしその後、もともとのお金持ちの状態には戻ってなかったとしても、いつも必要なお金はある状態になったとしたら、もともとお金持ちだったときと比べて、どちらが豊かでしあわせな感じが強いでしょうか。
・・何が言いたいかというと、冒頭の「良いことばかりが起こってほしい」における“良いこと”とは、状況や状態によって、その定義がコロコロ変わる、ということなんです。
あなたが“良いこと”と思っていることが現実になったときに、実際は「良いことばかりではない」ということとセットで起こっていると思いますが、いかがでしょうか?
良いことと良くないこと、これは常に50/50で起こっています。
感情の大小によって、50/50に感じられないこともあるかもしれませんが、よくよく俯瞰してみると、50/50になっているのが分かると思います。
逆に“最悪!”みたいなことが起こったとき、その後「そのおかげで・・・」と、感謝したくなるようなことが起きたり、そう感じられる瞬間が来ませんか?
そうなると、“最悪!”は、本当に最悪だったのか?考えていくと、よく分からなくなります。
それくらい、最高!も最悪!も、解釈や感じ方、捉え方、モノの見方によって、クルクルと変化していきます。
それらの“真ん中”にいる状態を『中庸』と表現しています。
ゼロポイントとか、ゼロ磁場とか、「今ここ」という ことばも、同じことを指していると思っていただいて大丈夫です。
いちばん、エネルギーが高いところです。
時間軸でいえば、過去でも未来でもなく、そのどちらもが交差する「今ここ」が もっともパワフルです。
プラスとマイナスで表現した場合には、その真ん中にあたる「ゼロ」が、もっともエネルギーが高いポイントになります。
今、Individualistic Program2期等で、家系図分析などされてる方々にとっては、これが“過去”に触れる取り組みであり、最後の方には“未来”に向かう取り組みがありますので、この双方をもって とてもパワフルな変容が起こる仕組みになっています。
多くの場合、わたしたちは、プラスだけ、良いことだけ、陰陽であれば陽だけ、光と闇ならひかりだけを望むようなところがあると思います。
しかし、一方向に偏ると、マイナス・良くないこと・陰・闇に、かんたんに飲み込まれてしまうようなことが起こります。
感情は自由なままで、態度としては、“どちらも歓迎”していくと、自分自身がより深まり、成長していく実感や歓び、そして感謝を感じやすくなると思います。
『中庸』であるとは、どういうことか?
少し時間をつくって、考えてみてくださいね♪
もしよかったら、アンケートに回答ください。
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