“この世の理”Vol.18「“中庸”を生きる」

あなたは、「良いことばかりが起こってほしい」と思うでしょうか?

パッと見、とても良いことのように思えます。

けれど、不思議なモノで、わたしたちは良いことばかりが起こると、それが“当たり前”になってしまい、喜びも感謝も薄くなってしまうところがあります。

それがしあわせで豊かなことなのか?と思うと、疑問が湧いてきます。

もちろん、良くないことばかりが起こったら、とても不幸な感じがするかもしれません。でも、よくよく考えてみると、生まれてこの方、ずっと不幸な状態だったとしたら、“それを不幸”とは認識しないと思いませんか?

たとえば、お金持ちの家に生まれて、ずっとお金について、良くも悪くも、何も考えなくていい状態で生きていた人がいたとして。親が誰かに騙されて、いきなりお金が無い状態に陥ったとしたら、その記憶は強烈に残りますよね。とても不幸に感じるかもしれません。

しかしその後、もともとのお金持ちの状態には戻ってなかったとしても、いつも必要なお金はある状態になったとしたら、もともとお金持ちだったときと比べて、どちらが豊かでしあわせな感じが強いでしょうか。

・・何が言いたいかというと、冒頭の「良いことばかりが起こってほしい」における“良いこと”とは、状況や状態によって、その定義がコロコロ変わる、ということなんです。

あなたが“良いこと”と思っていることが現実になったときに、実際は「良いことばかりではない」ということとセットで起こっていると思いますが、いかがでしょうか?

良いことと良くないこと、これは常に50/50で起こっています。

感情の大小によって、50/50に感じられないこともあるかもしれませんが、よくよく俯瞰してみると、50/50になっているのが分かると思います。

逆に“最悪!”みたいなことが起こったとき、その後「そのおかげで・・・」と、感謝したくなるようなことが起きたり、そう感じられる瞬間が来ませんか?

そうなると、“最悪!”は、本当に最悪だったのか?考えていくと、よく分からなくなります。

それくらい、最高!も最悪!も、解釈や感じ方、捉え方、モノの見方によって、クルクルと変化していきます。

それらの“真ん中”にいる状態を『中庸』と表現しています。

ゼロポイントとか、ゼロ磁場とか、「今ここ」という ことばも、同じことを指していると思っていただいて大丈夫です。

いちばん、エネルギーが高いところです。

時間軸でいえば、過去でも未来でもなく、そのどちらもが交差する「今ここ」が もっともパワフルです。

プラスとマイナスで表現した場合には、その真ん中にあたる「ゼロ」が、もっともエネルギーが高いポイントになります。

今、Individualistic Program2期等で、家系図分析などされてる方々にとっては、これが“過去”に触れる取り組みであり、最後の方には“未来”に向かう取り組みがありますので、この双方をもって とてもパワフルな変容が起こる仕組みになっています。

多くの場合、わたしたちは、プラスだけ、良いことだけ、陰陽であれば陽だけ、光と闇ならひかりだけを望むようなところがあると思います。

しかし、一方向に偏ると、マイナス・良くないこと・陰・闇に、かんたんに飲み込まれてしまうようなことが起こります。

感情は自由なままで、態度としては、“どちらも歓迎”していくと、自分自身がより深まり、成長していく実感や歓び、そして感謝を感じやすくなると思います。

『中庸』であるとは、どういうことか?

少し時間をつくって、考えてみてくださいね♪


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