こんにちは、高井咲友莉です。
前回のブログに関して
“もっと詳しく話が聴きたい”
というリクエストをいただきまして、
今日は
ひとつのテーマに絞って
書いていきたいと思います。
【女性本来の“強さ”】
について、です。
最も根源的で、絶対的な“強さ”
ここを押さえておくだけで
・女性は男性より弱い
・女性は男性より劣っている
・女性は男性より(何かしらで)低い
・・etc
みたいな思考や比較が
どうでもよくなると思います。
“男尊女卑”という
ことばもあるように、
なぜか
わたしたちの無意識には、
“男性>女性”
みたいな感覚や評価が
根深く沁みついているような感じを
感じています。
でも、女性には、
男性には絶対にかなわない
とある力が、
生まれながらに備わっています。
それは何だと思いますか・・?
(男の子のお子さんを
お持ちの方にとっては
めちゃくちゃ体感的にも
分かりやすい話だと
個人的には思っています・・!^ ^)
女性がいないと、男性が絶対にできないこと
ものすごくシンプルな話です。
『生まれること』
これが、女性がいないと
男性は絶対に叶えられないことです。
当たり前すぎて
ピンと来ないかもしれませんが笑
これって、ある意味では
とてつもないことだと思いませんか?
権力者に対して
使われることばで
“生殺与奪権”
(生殺与奪の権利)
というものがありますが、
女性の皆さんは
生まれながらに
この性別に生まれることで
この大きな権利を
望む・望まないに関わらず
持ってしまっています。
男性は、生まれたくても
女性が「産む」と決めて、
なおかつ、
本当に生まれるまで
妊娠期間中や出産そのものを
「実行し続けてこそ」
やっと生まれることができます。
これって、
端的に表現すると、
“命を握られている”
ということになりますよね。
女性にそんなつもりはなくても
実質的には
そういうことになる、ということには
変わりないかと思います。
娘から見る「父親」と、息子から見る「母親」との違い
これは、
わたしの夫ふくめ
男性の皆さんが
教えてくれたことなのですが、
娘から見た「父親」は
→人間(恋人に代表されるように)
であるのに対し、
息子から「母親」は
→女神(“人間でない”存在)
なのだそうです。
「男はみんなマザコン」
みたいな話もありますが、
母親となる女性に
“生殺与奪権”を握られてたら
それくらいになって
これも当たり前な氣がします。
そもそも、
人間も生物の一種であって、
“本能”とか“野性”が
生まれて一番に働くはずです。
野生動物が
一番、本能的に大事にすることは
「いかに生き延びるか」
ことばを変えれば、
常に一番に大切にしているのは
「生存戦略」となります。
生きていなきゃ、
何も始まりませんよね。
(逆に言えば、
“生きてさえいれば何でもできる”です)
自分の命、
自分が生まれるかどうかを
常に握っている“女性”に対して、
男性が幼きときから
“女神”と扱うのは、
女性は それくらいの力を
生まれながらに持たされているから、
だと感じています。
この点において、男性が女性に勝てる術はない
と、思いませんか?
だから、このことを
本氣でわかっているほど、
冒頭で書かせていただいた
・女性は男性より弱い
・女性は男性より劣っている
・女性は男性より(何かしらで)低い
みたいなことは
『物理的に思えなくなる』
と思うのです。
女性の皆さん、
いかがでしょうか?
別に望んで生まれた
性別ではないかもしれませんが、
生まれながらに
そうした偉大な力を
持って生まれていること、
少しでも強く実感いただき、
・女性は男性より弱い
・女性は男性より劣っている
・女性は男性より(何かしらで)低い
みたいな幻想・間違いを
大きく大きく
派手に手放せしていただけたら、
と願っています。
ここを手放せるからこそ、
・本来の意味で、男性と対等でいられる
・男性との“役割別”を理解でき、実行実践できる
・女性が不得手で男性が得意なことをお願いできる
・男性を本当の意味で尊重できる
・男性を本当の意味で立てることができる
(“手のひらで転がせる”ようになり
男性もそれが不快でない状態となる)
これらのことが
一氣に可能になる、
その可能性を感じられたり、
実際に体感できるようになる、
と思っています。
コメント