“この世の理”Vol.29「“自然”であることを大切に(“不自然”であることに要注意)」

「“自然”であることを大切に(“不自然”であることに要注意)」

“不自然なのは、人間だけ”

そんなことを、よく思います。

「どうして、ずっと心理学が好きなんですか?」と訊かれることがあります。

その際に、上記のことを回答します。

“人間だけが、自然法則に反するような選択を、簡単にするから”

“それが謎すぎるから”です、と。

わたしからしてみると、「自然な選択をしていれば、エネルギーはまっすぐ流れて上手く行きそうなものを、わざわざ“不自然な選択をする”のが人間で、それによって捻れなどが生まれて問題とかが起こるのに、それでも不自然を繰り返していく」それって、なんでなんだろう?何のために、人はそんなことを繰り返しているのだろう?ということを、ずっと考えていますし、それを研究していると感じています。

何のために?という問いを空に投げてみると、自分の内側から上がってくる回答は とてもシンプルで、『魂磨き(成長)をするため』と出てきます。

そもそも魂の視点からしてみると、わざわざ時間や空間に限界のある3次元に、これまた時間制限のある肉体をまとって生まれてきたこと自体が修行であるとも言えますし、生きながらにも わたしたちの魂が曇るようなことを わたしたちは自分でしていますから、常に磨き続けていく選択を「魂は」していきたいのだと感じています。

これに対して、頭は基本的にめんどくさがりですよね。変化も嫌いです。分かっていても、やらないのが人間(頭)です。たとえば、魂磨きに直結する行動といえば、『お掃除』。これまた、シンプルなことですが、もちろん わたしもめんどくさ!って思って やらないこと、全然あります。

逆に、人生の成功者と言われる人たちが、みんな一様にお掃除の大切さを説いているのは、これまた、分かりやすいことですよね。

人の“不自然さ”を引き出すのは『感情』だと、わたしは分析しています。

あなたは、何だと思いますか?(違う意見や考えがあったら、ぜひアウトプットで教えてください)

感情にまみれると、理不尽なことでも、理論が通ってないことでも、何でも引き起こせますよね。争いや戦いも、感情から。人間関係の問題は、大概が感情から起こっていると思います。

でも、感情は「持たされている」モノでもあります。

なんでも“必要だから”持たされているとしたら・・?

単純に、感情を無くす・排除する、のではなく、『感情をどう扱う(自分でコントロールする)のか?どう、“活かす”のか?』という選択になってくるかと思います。

この世は3次元ですから、良いも悪いも、必ず等しく存在します。

では、不自然な選択をしてしまうことが、感情の良くない側面だとして・・感情の良い側面も確認してみましょう。

わたしとしては、感情があることによって、人生の喜びや幸せ・充実などが、“より豊かに感じられる”という良い側面があると感じています。

また、自分が向かいたい方向性に自分の感情や熱を乗せることによって、スピードアップや成果を出しやすくなる、応援者をたくさん巻き込みやすくなる、といった効果もあると感じています。

ので、わたしとしては、『感情の良い側面を活かす』ことで、人生がより豊かになったと感じられる可能性が高いと感じていますので、それを実験したり実践したりしてみています。

そして、『感情の良くない面・デメリット』としては、上に書いたように“人間に不自然なことをさせてしまうトリガーとなってしまう場合”だと感じていますので、感情をよく感じて、感じ切ることによって暴発を防ぐ・コントロールする、ということを意識して実行しています。

感情を感じることを恐れないこと、感情を感じ切っていくと心がける・決めることで、感情を放置せずに扱うことができ、さらにコントロールすることが可能だと感じています。

感情をつど感じ切ってコントロールできると、感情の暴発による“不自然なこと=自分が上手くいかなくなるようなこと”をしないで済むのでは、と考えています。

自分の感情と仲良くなること。いつも自分の感情を冷静に理解していること。自分にとって苦手な感情を放置したり、無視したりしないこと。しっかり、取り上げて扱うこと。

不自然なことをさせる可能性がある感情を嫌ったり、放置するのではなくて(余計に暴走する可能性が高くなります)、真正面から向かい合って、受け入れて、感じ切っていくと、感情と手を取り協調・調和して過ごしていけるようになると考えています。

そして、同時に『“自然だ”と感じられる選択をしていく』こと。

自然って、いつでも調和しています。

山に入ると、次のことを思うことはありませんか?

“木々がはちゃめちゃな方向にそれぞれ伸びてたり、すごい枝の折れ方をしていたり、何かに蝕まれている木もあったりしているのに、全体で見ると、いつも美しいし癒されるし、エネルギーもらえるんだよなぁ”みたいなことを。

山には、自然の中には、“不自然なはたらきが無い”からだ、と感じています。

どんなメチャクチャな生え方や折れ方、腐れ方をしていても、すべてが調和していて、美しく感じる。どこか一部を“すごい奇妙な木だな”と感じたとしても、全体としてみると、それは消え失せてしまい、溶けていて、美しさに内包される。調和の中に内包されてしまう。

本来は、人間も社会も世界も、全部同じだと感じています。

一個人としてみたら、奇妙だったり、五体満足ではなかったり、障がいを持っていたり、変わっていたり、人から理解されづらいレベルで個性的だったとしても、本来はそれらを丸っと含めて「美しいし、全体調和しているんだ」と思えたら。自然な山の中の木々たち、一本一本を、全体として観ると美しく感じるのと同じように。

少し、世界の観え方が、良い感じに変わるような氣がしませんか?

今、存在しているものは、存在をゆるされているから、存在しています。

ただ、それだけなんです。それを罰するとか、評価するとか、裁くとか、ジャッジするとか、不自然を選択してしまう可能性がある人間の目線のみでやってしまうから、少しずつ歪んでいく。そんな感覚もしています。

自然と同じように、互いにまず、その存在を全面的にゆるしてから何事もコミュニケーションしていくと、自然と調和に導かれるのでは、と感じています。

『それは、“自然”であるかどうか』

どんな選択も、決断も。

ひとつひとつの言動レベルから。

何かを判断するときにも、選ぶときにも、少し意識して観てみてください。

その中で、何か発見や氣づきがあれば、ぜひシェアしてくださいね。

最近はお伝えすることを多くしていますが、わたしが言っていることや書いていることが“正解”ではなく、ひとつの見解・考えです。間違っていることもあるかもしれないし、いろんな感じ方や意見があるのが自然なことですから~それを出し合えるのが、また「豊かさ」だと感じています。


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