“この世の理”Vol.19「運が良い人は、悲観的である」

このことは、案外ことばにして見てみてると、ギョッとしませんか?

運が良い人とは、どこか“楽観的”であるイメージを、多くの人が無意識に持っているのではないかな、と感じています。

もれなく わたしも、あえて楽観⇔悲観という視点から 運の良し悪しについて考えたことは無かったのですが、その視点を与えられたとき、“無意識的に、運が良い人って楽観的だと思ってたかも”と感じたんですね。

でも、今では、「運が良い人は悲観的である」ということの方が、とてもしっくり来ています。

みなさんは、どう感じるでしょうか?

ちなみに、自分自身のことに当てはめて考えてみると、分かりやすいかもしれません。

あなたは、楽観的ですか?それとも、悲観的なほうでしょうか?

わたし自身は、昔から“運が良いなぁ”と感じさせてもらうことが多いです。そして、自分が楽観的か、それとも悲観的か、といったら、「悲観的」なんですよね。これが。

表向きは、明るく楽観的に見えることが多いのを自覚しています。でも、わたしの頭の中というか、基本的に いつもやっていることは「リスクヘッジ」的なことが多いのです。リスクを回避することを大切に考えている、という意味で、悲観的なところが多分にあると感じています。

悲観的、というのは、ネガティブである、ということではありません。未来に関しては とてもポジティブだと思っています。“どこか、何とかなる”と、いつも思っているところがあるからです。

でも、たとえば、10年前に起業準備をし始めたとき、一番最初にやったことは「お金が完全に無くなったら、日本ではどうなる?!徹底シュミレーション」でした。自己破産したら どうなる?お金が無くて行政を頼るとしたら どんなことが可能?お金が無くなったら、本当にご飯を食べる術はないのか?死に向かっていくのみなのか?子どもは どうする?などなど、そのとき考えられる限りのネガティブな想定をして、その先のシュミレーションまで していったのです。

そうして、分かったこと、わたし自身が腑に落ちたことは、『日本では、お金が無くなることだけでは、死にようがない。どこかに救済措置が 必ず ある。すごい国だなぁぁ』ということだったんです。それで逆に とても安心して、独立起業の道を歩みはじめることができました。

そう腑に落ちるまでは、トコトンいろんなことを調べました。実際の行政のはたらきを調べたり、シングルマザーで生活保護を受けている人に実際のところをインタビューしてみたり。自己破産して自殺する人には、何が起こっていたのか?など。

ここまで読んでみて、こういうことをする人って、楽観的だと思いますか?わたしにとっては、「悲観的である」という ことばの方が しっくりします。

いろんなラッキー、幸運に遭う人がいます。

その運の生じ方を研究している人たちは、とても多く存在すると思いますが、運の生じ方を掴み切れないからこそ、「運」についての話って、いつも話題になるのだと思いますし、人の心を掴んで離さないのだと思います。

でも、ラッキーだと言っている人に近づいて話を聞いてみると、その思考は とても緻密だったり綿密だったりします。楽観的な人というのは、明るい見通しを自然と持っているので、深く考えるとか、精巧な思考をしているイメージって、ありませんよね。思考が緻密・綿密な人も、悲観的という ことばの方が しっくりくるのではないかと思います。

あとは、幸運が起こったことを話すときって、とても明るく話しますよね。歓びに満ちている感じで。それがまた、楽観的なイメージと重なりやすいのかな、と感じています。あまり細かいことは話さずに、“どれだけラッキーで嬉しかったか、感動したか、驚いたか”という、感情的なことをメインに語られるのではないか、と。

実際は、その幸運に遭う前後、その人がどんな思考的な習慣を持っていて、どんなことをやってきたのか、一歩二歩と踏み込んで調べたりインタビューしたりしてみないと、実際の本当のところは分からない(その人が楽観的なのか悲観的なのか)のでは、と感じています。

みなさんは、今日の話題から、どんなことを感じたでしょうか?また、どんなことを考えましたか?

皆さんご自身のことでも、“わたしはこう考えます”といったことでも、ぜひメッセージでシェアくださいね。

このことは、わたしは「この世の理」にふさわしい内容だと感じて書いていますが、もし別の意見や考え方があれば、ぜひ知りたい・聴きたいと感じています。


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