“この世の理”ライブラリvol.13「“積極的に”待つ、ということ」

「“積極的に”待つ、ということ」

積極的に待つ、と書くと、ちょっと矛盾した感じがするかもしれません。

このフレーズの意味は、いくつかに分かれます。

・自分にとっての“タイミング”は、左脳では計りきれないところがある。
・タイミングでないときに無闇に動いても、望む結果が得られないどころか、要らぬ歪みやねじれを生んでしまい、むしろそれらも回収することになってしまう。
・氣が急くときほど、それに引っかからないことが大切である。理由は、上記の2つ。

いつかベストな「タイミングが来る」ということを信頼している必要があります。

たとえば、スッキリしないとき、モヤモヤするとき、イライラしているとき、嫌なことがあってひたすらに悲しいときなど、“早くスッキリしたい、早く清々しくなりたい”と思いませんか。

そのために、いろんな心理的ワークを試みたり、思考で何とか陽転させようとがんばったり。

それらに取り組むのはいいのですが、『結果を焦りすぎないこと』が、とても大切です。

わたしたちは、“自分でタイミングを決めてきている”という物の見方があります。
どんなことも、いかに苦しくても、辛くても、それを超えるタイミングを“自分で決めてきている”、という見方です。

そうであれば、そのタイミングが来る前に力技や人間業で何とかしようと思っても、結果的にうまくいきませんし、そこで感じるイライラや怒りや焦りは、要らぬ現実をプラスαで生み出してしまうことになりかねません。

だからこそ、“そのタイミングを積極的に待つ”、というスタンスをお勧めしています

イライラしたり、そのイライラを解消するためにワークしてみたり、悲しいときや動揺しているとき、モヤモヤしているとき、心がまるで曇っているようなときなども同様で、それらを何とかしたいと思えばそのためのあらゆる方法を試しながら、スタンスとしては“自分で決めているタイミングを積極的に待っている”、これをあらゆることの下支えのイメージとして持っておくような感じです。

『いつか今を懐かしく思うときが来る』

という表現にもある通り、どんなイライラもモヤモヤも、嫌な氣持ちも、いつかは「完璧に過去になる」瞬間がきます。

その瞬間が来ないとすれば、それはあなたが、わたしたちが、いつまでも辛い・煮え切らない思いを「今」抱え続けている場合です。

こんなフレーズもあります。

『過ぎ去った想いに光があてられたら、感謝をもって手放すことが肝心。もう、振り返るのはやめて、未来へと意識を向けよう』

上に書いてきたような、いろんなネガティブな想いを抱えている場合、『感謝』って、とてもできない・むずかしい、そんな風に感じることはありませんか?

そんな場合でも、そのままでいいのです。

“今はとても感謝なんてできない。なんで(こんな氣持ちになる相手に)感謝なんてしなきゃならないのよ”

その想いを、そのまま認めるんですね。

すると不思議なことに、“あ、感謝してみようかな”とか、“もう、いい加減、感謝して手放して終わりにしたいな”みたいに感じる瞬間が来るのです。

それこそが、『あなたが最初から決めていたタイミング』が訪れたような瞬間になります。

こうした瞬間が来るのを「積極的に待つ」というスタンスで、いつもいること。

すると、“いつかは(この暗がりを)抜けるときが来る”と信頼している状態になりますし、結果的にも、本当に“抜ける”瞬間を迎えることになります。

わたし自身が久々に、7月中旬ごろから、こまかく見れば、もっと何ヶ月も前から感じはじめていた“暗がり”のモノを、やっと抜けたような感覚が訪れたので、今回はシェアも含めてこの内容を書いてみました。

ネガティブな想いを持っていたり、相手に罵詈雑言を言いたくなるような状態って、本当に苦しいことがありますが、それを何とかしたい(抜けたい)ともがいて、思いつくことは“人事尽くして天命を待つ”レベルで実践していくと、いつか『自分が決めてきたタイミング』がやってきます。

わたしもその瞬間が来るまでは、その15分前だって、その瞬間が来るなんて分かりませんから(そういうレベルです、ということをお伝えしたくて書いています)、その瞬間が来たときには、「これか〜!」って、何とも言えない氣持ちになります。

もし、涙が溢れてきたならば、それは、あなたの魂の琴線に触れたからです。
“それがやりたかったんだ”、と。

わたしが感じたことは、やっぱり人を貶めたい・堕としたい人なんていなくて、わたしたちは、「ゆるしたい」し、「愛したい」し、「祈りたい」し、「感謝したい」生き物(魂)だ、ということでした。

今日は、何か苦しみの中にいたり、絶賛モヤモヤ中だったりする場合の応援やエールになればいいな、という氣持ちで書きました。

そうした状態にハマったら、いつでもこの文章を思い出して、読み返してみてくださいね。わたしも自分がハマったときには、この文章を読み返しに来ようと思います。(本当にドツボってるときは、こうした文章があることも思い出せないモノです笑)

“最初から決めていたタイミング”が来て、その出来事が『過ぎ去りし』モノになったとしたら、それらは本当に過去になり、なんであんなにモヤモヤしたりイライラしていたりしたのか、まったく分からない感じになります。
逆に言うと、それが確認できたら、『本当に済んだんだ』ということが分かります。


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