“この世の理”ライブラリvol.09「すべては“バランス”」

「すべては“バランス”」

身体の構造や機序(しくみ・メカニズム)をお伝えすることを通して、「バランス」ということを、本当によくお伝えしています。

身体って本当に分かりやすいのですが、『偏りが病を生み出します』。どんなに良いと言われている食べ物であっても、自分自身の度を超えて食べてしまうと、それは『偏り』となり、何らかの症状や病態を引き起こします。

なので、特定の目的のために、身体の改善を目指して、特定の食材や特定の食事を摂る場合、「期間を決める」のが大事なんですね。たとえば、まず3ヶ月やってみて、身体の状態の変化を観る。そして、4ヶ月め以降からどうしていくか、またあらためて決めていく。

たとえば、冷えやすい人が、世の中の情報やマーケティング(要は利益や売上を上げるための何か)の何かを信じて、自分の身体や、その食べ物の作用を知らずに、“健康に良いと言われているから”と、オメガ3に属する油やアサイーボウルを食べまくるとします。どちらも、身体を冷やす作用のある食べ物なので、その人の冷えは極まっていくことになります。大体、アサイーボウルにトッピングされる果物も、南国系の身体を冷やす果物だと思いますから、尚更です。

その人の身体が耐えられないくらいの冷えが起こったとき、たとえば癌になるとか、バセドウ病になるとか、冷えの最悪は、本当に死、なんですが、起こってくるのです。冷え=生命力が限りなく低まっている状態、だからです。

でも、現実では、たとえば手先が十分冷えているのに、“身体にいいと思って”オメガ3の油やアサイーボウルを摂り続けてしまうこと、たくさん起こっています。

身体が病態を帯びてくるまで2年半くらいかかると言われています。5年経つと、その偏りが定着して症状が固定してしまう。すぐ問題が起こるわけではなく、チリも積もれば・・という形で、「年」単位で起こるからこそ、なかなか氣づけないのですね。

あとは、乳製品、特にヨーグルトやチーズとかは“健康にいいと思って”、そこにプラス、嗜好品として牛乳やアイスを食べているとしたら・・女性なら極まると乳がんですよね。これはたくさんエビデンスがあります。

○これだけ摂ればOKな食材はない

と思っている方が、バランスが取れると思います。


“雑食が一番強い”という表現もありますよね。

これ、食べ物だけではありません。
人間関係や環境も、雑食的な人は強いです。何にでも対応できるということですから。

自分のもともとの身体の質や傾向、そもそもある偏りを知りながら、後天的に、生まれた後に何を食べてきたかの影響も合わせて観て、さらに今の身体が何を欲しているかに敏感でいること、この3つの掛け合わせでバランスは取れるモノだと感じています。

知識(左脳的なモノ)に振り回されると、感じられなくなります。感じられないということは、野生的な勘や力がはたらかないということです。すると、身体の今の状態を読み取る・感じ取ることが本当にむずかしくなります。

『今ここにいる』重要性って、ここにもあるのです。

今ここで感じていること、これに間違いはありません。頭で考えると、分からなってしまうのです。


日本には、『清濁併せ呑む』という、すばらしい表現があります。
清濁、陰陽、両極は、セット商品です。両方あるから、両極を体験するから、はじめて真ん中、バランスが取れます。

片方しか知らないと、本当の意味でのバランスって、取れないのですね。


これは、身体だけではなく、心の領域でも、まったく同じです。

とても自立的で、甘える・頼ることを忘れてしまっているような場合に、「甘えてみてくださいね」「頼ってみてくださいね」と言っても、なかなかできなかったりします。

それは、自立の逆である依存を、ほとんどやったことがないからです。

自立、がひとつの極であるならば、その逆の極が、依存です。
めっちゃ甘える、めっちゃやってもらう、頼りまくる、まるで赤ちゃんのように(赤ちゃん=依存の極みとした場合)。

スーパー自立的な人は、これをやって初めて、自立と依存の真ん中の“ちょうどいい”という状態でいられるようになります。逆の極であるスーパー依存を経験しなければ、真ん中って、分からないのですね。


本当の意味での真ん中、「バランスを取る」には、すべてを“やってみる”必要があります。

何かをやらずにバランスを取るって、やらないことによって極を知らない(体験していない)としたら、どうやってできるのか?無理ですよね。

めちゃくちゃ甘いモノを食べるから、対極の苦味や辛味が感じられる。
スーパー貧乏なときがあるから、スーパー裕福になったときに、誰よりもその幸せや感謝を感じられる。
泳げないときがあったから、泳げたときに感動する。
愛されていないと感じた時期があったから、愛されることの喜びと感動を大きく得て、それを人にも与えたいと、愛する人になっていき、バランスする。

こうした、極と極の体験を経て、わたしたちはすべてにおいて“ちょうどいい”=バランスの取れたしあわせな状態を生きていけるのだ、と感じています。


病もそうですが、何か「問題」や「課題」と感じるようなことが目の前に現れたら、それは宝物(ギフト)なんです。

それらがあるからこそ、成功とか喜びとか達成とか、そうした充実を感じることができる。
何も問題がなかったら、わたしたちは成長も進化も、何も起こらないと思いませんか?

ここも、「バランス」なんです。

下がれば上がるし、上がれば下がる。
これを繰り返しながら、俯瞰的にみると、全体としてはずっと右肩上がり、という状態を創っていくことができます。

そんな風に、身体のことも、仕事やビジネスのことも、対人関係も、さまざま観察&捉えてみてくださいね。

一氣にやらないことです。
やってもいいのですが、それなりの反動が起こることは覚悟の上で、というイメージでしょうか。それに耐えられる質を兼ね備えてればいいかもしれませんが、、自分自身の選択は、自分だけのモノような感じがしますが、実は必ず周囲の人たちに影響していきますので、誰かに何かは起こります。
これもバランス。激しいことをすれば、激しい何かでバランスを取ります。自分を含めて全員が楽しかったり幸せだったり、WINであったり歓んでいる塩梅・バランスを取っていきたいですよね。


常に「バランスしている」ことを意識していると、下がっても落ち込まないし、上がってもいい意味で謙虚でいられるし、いいことはおかげさま、良くないことは自分の努力や変化で何とかできる、あれをすると反動が来るからやめとこう、みたいな判断も、いい意味でとても冷静に出来るようになります。ちょっと立ち止まって、考えたり、感じてみたり、することができます。

いいことだけ、ってのは、実はとても不自然なことなんだ、ということも理解できるのではないでしょうか。

こうしたことが、頭の理解だけではなく、体感として感じられている(腑に落ちている等)と、たとえば、これから時代的に増えてきそうな、妙な投資や詐欺案件に引っかかる、ということも無くなっていきますし、そういう話自体が来なくなります。

さらに、仮にそういう話がきて、引っかかってしまったとしても、“ここで学びや氣づきを得て実行すればより良くなれる”と分かっていますので、すぐに舵を切り替えることが出来るようになります。そして、もう二度と、同じようなことにも引っかからなくなります。

小さい子が、高いところから落ちて大ケガをすると、もう落ちることが無くなるのと同じ構造です。命さえあれば、基本的には『大丈夫』なんですね。安心して色んなことにチャレンジしたり、体験したり、トライしてみていただきたいです。

死ぬようなことでない限り、雑食のように何でも経験して、ときには多少痛い思いをしても、そうして免疫をつけていくと、ドンドン豊かな人生がやってきます。

ぜひ、いろんな場面で、今回お伝えしたことを試してみてくださいね。


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