“この世の理”ライブラリvol.03「エネルギーは、高き→低きに流れる」

「エネルギーは、高き→低きに流れる」

皆さんは、自分自身が、’エネルギーが高いとき’と’エネルギーが低いとき’、それぞれどんなときにそうなるか、把握してらっしゃいますでしょうか。

○どんなときに自分のエネルギーは高まり、どんなときに自分のエネルギーは低くなるのか?

そして、

○低くなっているときに、そのことに氣づけるか?
○低くなっていることに氣づくための手段は(複数)持っているか?
○低くなっているときに、それを高めるための手段やアイディアを(複数)持っているか?


まずは、自分のパターンについて、書き出してみることをオススメします。

たとえば・・

○自分のエネルギーが高いとき:
ワクワクしているとき。おいしいモノを食べているとき。ファスティング本番中。何かに没頭しているとき・・etc

○自分のエネルギーが低いとき:
考えてもしょうがないことをグルグル考えているとき。“めんどくさい”に支配されているとき。良いと分かっている習慣を実践していないとき。義理で人と会っているとき・・etc

これ、皆さん内容が異なるはずです。「質」と同じですね。

書いて「可視化」してみること。
やってみると、非常にスッキリするのをご体感いただけるかと思います。はっきりするって、スッキリするのですね。

特に、エネルギーが低いときの自分のパターンを分かっていると、自分のエネルギーが低くなっていることに氣づきやすくなります。氣づけたら、手を加えますよね。修正したり、改善したり、より良くなるための何か、をすると思います。氣づけないときに、ダラダラとエネルギーの低い状態が続いてしまうのですね。

自分自身の状態に「氣づく」ために、自分のパターンを書き出してみること、とても効果的です。
そして、時が過ぎれば自分自身も変化しますから、常に“今はどうなのだろう?”と、自分の変化を観察し続けることや、そのために自分に目を向ける時間を細やかにつくってみること、実践してみてくださいね。


さて、エネルギーの流れは、よく、川の水の流れにたとえられます。

川の水は、常に「高いところから低いところに流れています」よね。自然の中で、その逆を見たことがある方は教えてください。(見てみたいので笑)

滝とか、分かりやすいですよね。分かりやすく、上(高所)から下に水が落ちています。


人のエネルギーも全く同じで、常に「高き→低き」に流れています。

自分よりエネルギーが高いな、と思う人と会うと、より元氣になる感じ、ありませんか?これは、「高き→低き」に流れるエネルギーの好影響を受けている状態です。

こうした説明をすると、心配する方がいます。
“エネルギーが低いときに会った相手から、エネルギーを奪っちゃうのでは?”という風に。

ところが、今日の話を理解していると、それは「無い」ということが分かると思います。エネルギーが高い方ほど、積極的に人と関わっていて、その結果、エネルギーが周りに流れている光景を、よく見かけます。でも、ただ高い方から低い方に流れているだけであって(電氣とも同じですね)、エネルギーが高い人って、そもそもの生活習慣や生活パターンにおいて、常にエネルギーが高くあるような生き方をされているので、枯渇するとか、基本的にありません。

もし、エネルギーの高い方に枯渇が起こったとしても、すぐに氣づいて対処されますし、普段から周りに与えている分、周りからもすぐに援助の波が起こるのですね。だから、回復も早く、的確だったりします。

なので、『自分のエネルギーを日常的に高める』ためのアレコレを、たくさん持っている方がいいのですね。

それは、考え方も、マインド(精神)も、あり方も。そして、『自分のエネルギーが低くなることはしない。断る。断捨離する』これがめちゃくちゃ大事です。


わたしたちは、長く資本主義社会や、経済成長時代=物質優位の時代を生きてきたことで、“何かを得る”ことに慣れてしまって、“何かを足す”ことにフォーカスが行きやすく、『引き算』や『捨てる』ことを忘れがちです。

でも、物事は「出してから入る」モノです。身体だって、排泄しなければ新しいものを美味しくいただけませんし、呼吸も吐いてから吸うのが自然であり、すべてに共通していることです。
(※こちらについては、別途テーマを設けて書く予定です)

何かを新しく取り入れようと思ったら、古い何かは『先に捨てる』こと。でないと、わたしたち自身の内側・外側どちらのスペースも空かず、新しいエネルギーや物事、新しいご縁などが入ってこれなくなってしまいます。

何かを増やす前に捨てる。増やしてしまった後であっても、そこから捨てるでもいいので、必ず『捨てる』『引く』『手放す』などなど、忘れやすい方ほど意識してみてくださいね。

とりあえず、何も入れなくても『出す』ことに集中していると、自ずと必要なモノは入ってきます。ところが、何が入ってくるかに集中しすぎて、出すことを忘れてしまうと、自分がパンパンになってしまったり、飽和して何がか崩壊したり、まるで「出してー!引いてー!切ってー!捨ててー!」と言わんばかりの出来事が起こります。そうした出来事は、すべて氣づきのためのサインであり、メッセージなんですね。


もう一つ。

これは、自戒の意味も込めて、なのですが、基本的に自分のエネルギーが高ければ、低い方から何かをもらったり、何かを受けたりすることはありません。

ですが、『自分からもらいにいったり、受けにいったりした場合』は、もちろんもらったり受けたり、します。

このときに大切なのは、『自分から下がらない』『自分から’低き’に合わせない』というスタンス、あり方になります。

たとえば、

○相手が大変そうだから
○相手がまだ若いから
○相手がかわいそうだから
○できることあるし、時間もあるし、助けてあげないと
○何かもったいない、ここを伸ばしてあげたら・・

みたいな感覚から始まる言動って、もう『自分から下がっている』状態です。

やさしい感じ、親切な感じ、いい人そうですよね。
でも、『相手のところに自分から行ってしまっている』ので、『低きに合わせに行っている』ということになるのです。

わざわざ、相手を拾いにいかない。直接、相手から来た場合にも、違和感があったり、100%氣分がいい!と感じないようであれば断る。そもそも、ピンとこない相手の方から来るということは、すでに自分が低くなっている可能性が高いです。
“でも、来たからには意味がある・・”とか、思考を使いはじめると、こんがらがります。ピンと来ていない、その感覚をまず採用してから、思考は使いましょう。感覚を否定する思考を使って、いいことは何もありません。

自分から低きに合わせている場合、何か力を入れなければいけなかったり、いつも以上にエネルギー使っていたり、妙に思考を続けていたり、力みが入っていたり、その渦中にいるときって氣づけないことも多いのですが、でも確かに、こうしたことが起こっているはずです。(皆さんも自己チェック、してみてくださいね)

今、わたしは、とても大切にしていることばがあって、

「人は助けるものではなく、“助かる”モノだ」

つまり、人には自分で助かる力がある。わたしたちにできることは、それを引き出すお手伝いとか、そういう力があることに氣づけるような投げかけをするとか、そうしたことだけであって、誰かを助けるとか救えることなんて、無い。

誰かを救おうとした瞬間、誰かを助けようとした瞬間、エネルギーはねじれます。
自分から下がっていくので、低いところで相手とつながることになり、結果的に相手も高まらないという、WIN-WINとは逆の状態になってしまうのです。

よくよく考えると、「自分が相手を助けられる」って傲慢だな、と、わたしは思ったりします。皆さんは、どう感じますか?

“5秒で助けられないことには手を出さない”

こうした表現もあります。5秒で助けられることなんて・・目の前で誰かが倒れたら身体を起こすのを手伝ったり、怪我してたらかんたんに手当てしたりすることくらいでしょうか。買い物先で、高齢で体力が弱そうな方が重い荷物を持っているときに、お車まで運びますよ、とお手伝いすることとか。それだって、「自分でやります」と断られることもありますよね。

5秒で助けられることなんて、ほとんどない。だからこのことばは、“助けない”ということを教えてくれているのだと思っています。


わたし自身、後半の『自分から下がらない』『自分から’低き’に合わせない』については、まだまだトレーニング中です。

いかに自分を高める実践を重ねても、自分から下がりにいったら自分にダメージが来ることは、もう何度も体験しているのですが、本当に何度も難関校に落ち続けてる氣分です笑。

ただ、徐々にできるようになっている、修正を何度も重ねて、いつか完璧に腑に落ちるときが来る!とは決めていますので、そこに向かっているとは感じています。

皆さんもここまで読んでみて、感じることや思うこと、思い当たる節とか、自分なりのアイディアとかがありましたら、ぜひアウトプットしてみてくださいね。

皆さんからのアウトプットをいただくことで、わたしからもまた、新たな氣づきや視点が生まれそうでワクワクしています。


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