「神社に行くこと=開運する」というイメージがある方が、きっと多いかと思います。
たしかに、わたしもそのイメージがありますし、神社参拝は、行かないときもありますが、基本ベースとして、1日の朔日参りと15日参りとを意識して動いています。
振り返れば、神社に行かないときにも傾向があり、神社によく行くときにも、自分の中には傾向があります。そうした自分の“内面的なこと”に氣づける場として神社を活用されることも、個人的には とてもオススメです。
さて、これまで わたし自身が実践したり、学んだりした中で、これはオススメ!というあり方と、これは辞めた方がいい、と感じるあり方と、書かせていただきます。まず、後者に当てはまることがあれば、「それを続けるのをやめる」ことから始めましょう。これは例えば、掃除は断捨離、“捨てる”ことから始めるのと同じ感覚です。その後か、同時並行的に、前者に取り組まれると良いと思います。
後者、やめることを実行せずに、前者を新しく取り入れたとしても、それは穴が空いた器に水を注ぐようなもので、注ぎながら漏れていってしまい、結局 何も残らない・・なんてことになってしまいます。まずは、空いている穴を塞ぐ(やめることをやめる)ことから始めるのがオススメです。
では、順に紹介させていただきます。
《神社で運を落とす行為》
・ガヤガヤ騒ぎながら境内に入ったり、参道を歩くこと
→鳥居は、家で例えるなら「玄関」です。
通常、人様の玄関に、ガヤガヤ喋りながら入りませんよね。
・鳥居の前でお辞儀をしない
→たとえば、神社や神様を“目上”だとした場合に、お辞儀なしで家の中に入りますか?
・手水によらない=禊をしない
→邪氣を払わずに神様の前に行くことになるので、“目上”とすれば失礼に当たります。
(本来は相手が目下でも失礼ですよね)
→本来、受け取れるモノが受け取れなくなることも。
→自らを清めていった方が、相手様も喜ぶイメージが湧きませんか♪
・お賽銭を「投げる」行為はNG
→最も、警鐘を鳴らす行為です。
例えば、あなたは、大切な赤ちゃんを投げたりしますか?それと同じことです。
お金は声を上げないからこそ、氣づけないことです。(身体と同じですね)
→天皇家から始まり、政治家さんや影響力のある方が、
お賽銭を投げている映像を見たことがありますか?分かっているので、投げません。
・神社はお願いごとをする場所ではない
→一番多い勘違いや誤解がコレかな、と思います。お賽銭投げるのと同じくらいでしょうか。
神社はお願いごとをする場所ではなく、「宣言」をさせていただく場所です。
・参道の「真ん中」を通ること
→参道の真ん中は、“みんなの想いが通る道”です。空けておきましょう。
図らずも参道の真ん中を通れば、因果応報的なことが起こるイメージです。
(自分の想いが誰かや何かによって遮断される)
・帰りに鳥居で、神様に向かってお辞儀しないこと
→最初に、入るときにお辞儀するのと同じ理由です。
ザッと書き出してみましたら、かなりのボリュームになりましたので、今回は先に、「神社でやめた方がいいこと」=運を落としちゃうリスト、のみを お送りさせていただきます。
ただ、上記項目に すべて取り組んでいただくと、ほとんど “これがオススメです!”というあり方になると思います。
わたしは個人的に、神社には『結果報告と御礼』をさせていただくのが好きなのですが、その前に「宣言」をさせてもらっているからか、良い報告のときは もちろん とっても嬉しくてエネルギー高まりますし、良くない結果や、ネガティブな展開のときにも行かせていただくと、すごく穢れや邪氣が落ちるような感覚で、すごくエネルギーがスッキリ!するんです。わたし的には、昔だったら親には言えないような感情や氣持ちなど、ぜんぶ神様には言えます。
神社のパワー、神社のエネルギーって すごいなぁと、行けば行くほどに感じます。
神様は、お賽銭の額など氣にしてないし、額によって対応を変えませんが(目に見えない世界が本当に視えている人は皆同じことを言います)、わたしは神社を美しく調え、維持くださっている方々にお礼の氣持ちを込めて、縁切り目的以外のときは、諭吉さんを入れさせてもらっています。
わたしのお金の講座を受けてくださっている方ならば、なぜ1万円以上をお賽銭にするのか、ご存知だと思います。もし、まだ知らなくて、知りたい方がいれば、問い合わせで送ってください。音声か、この続きの開運行動学かでお応えしたいと思います。
もしよかったら、あなたの声をお聞かせください。
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