「法則=正解、ではない。『創る』という発想を」
これまでの更新の中でも、「出入り口の法則」という内容をシェアさせていただいたように、巷には「○○の法則」「⬜⬜法則」というような“法則”があふれています。
わたし自身、法則というものは、試しに実践してみると、本当に“法則どおりの結果が出るモノだなぁ”と、楽しくて面白くて、法則集めにハマったことがあります。
そのときというのは、“みんなにとっての絶対的な正解があったら、きっとみんな楽なのになぁ”という想いがありました。
その時点ですでに、とあるAという法則を試してみて、望ましい結果を受け取る人と、何の結果も受け取れない人と、両方の人が存在しているのを何パターンも見ていて、“誰にでも適用する完璧な法則ってないのかしら”と思って探していました。
そのうちに、法則を採用して結果が出ない人の特徴が、見えてきました。
ひと言でいえば、「その法則が本当なのか疑っている人」に、結果は出づらいです。
ことばを変えると、「嘘なんじゃないか」とか「やってみて結果が出なかったらどうしよう(不安・恐怖)」と思っている場合に、結果はとても出づらいです。
わたしがよくお伝えしている現実化の法則の中に、『そう思ったらそうなる』という法則があります。
疑えば、疑いが証明される形で現実化が起こります。
結果が出ないのでは、と不安に思えば、“結果が出ない”と感じる現実が用意されます。
逆に、「これをやったら結果が出るんだ!」と、素直に信じる人には、そのままの結果が出ます。
受け取る結果や起こっている事象は真逆のようですが、『そう思ったらそうなる』という法則の下では、“同じこと”が起こっているのですね。
そして、つい最近のことですが、
「法則そのものを歪める力が人間にはある」
ということを知りました。表現を変えると、
「わたしたちは、いかようにでも“法則そのもの”を創ることができる」
そういう存在なのですね。
つまり、わたしたちは、『採用してみたい法則を、都合よく取り入れたらいい』のであり、『採用したい法則を、究極、創っちゃえばいい』のです。
“あ!この法則が本当だったらおもしろい!!”
“この法則、ワクワクするから試してみたい”
そんな風に思ったら、取り入れて実験してみる。
さらに、ちょっと乱暴な物言いかもしれませんが、『そう思ったらそうなる』のですから、自分が創ってみたい現実や、体験してみたいプロセスそのものを法則化して、実践してみるといいのです。
たとえば、左脳では“完璧に太る”と感じている食べ物を摂りながら、『これを食べるとなぜか痩せる』(新しい法則化)とイメージし切って食べてみます。
これ、『痩せる』の定義が何か(『痩せる』とはどんなイメージか)によって、受け取る結果は変わりますが、仮に『体重が減る』ことだとしましょう。
左脳では“完璧に太る”と感じている食べ物に対し、『これを食べるとなぜか痩せるんだよなぁ〜=なぜか体重が減るんだよなぁ〜』と、ルンルン創造し切りながら食べていきます。
そして、翌日、体重計に乗ってみましょう。
あなたの創造力や確信力、思い込みの強さが試される瞬間です。もし、体重が減って痩せていたならば、あなたの創造は現実になった、ということが、この瞬間にわかりますね。
もし、ここで体重が増えていた=痩せずに太っていたならば、そもそも持っていた“これを食べると完璧に太る”という『信念』の方が、新しい創造よりも、エネルギー的に勝っていた、ということが分かります。
つまり、法則は、自分次第でどっちにもはたらく、ということが、この文章から伝われば嬉しく思います。
お伝えしたいことは、『法則に縛られないように』ということです。
法則は絶対でもなければ、全員にとっての正解にもなり得ません。
自分の中で違和感があるのに、“それが法則だから”と『無理に』採用してるモノや、がんばって取り組んでしまっているモノがあれば、いったん手放してみてください。
“どうもそうは思えない”という法則を試したり、実践し続けることほど、ナンセンスなことはありません。時間や労力を、他にかけていただきたいです。
誰かにとってはすぐに結果の出る法則も、あなたにとってもそうであるかどうか、は決まっていることではありません。
ある法則を実践しながら、“そんなことないんじゃないか”とか、“わたしには結果が出ないんじゃないか”と思っていたとしたら、それが間違いなく、叶います。
大切なのは、『あなたが今、何を信じているか』これが叶いますし、現実に起こっているすべてが、『自分が信じていることが叶っている』と捉えて認めてみること、そこから始めていくことが大切です。
いくら左脳的には「そんなこと望んでない!」と思っても、です。
「現実となったこと=自分がそうあってほしいと望んでいることだし、そうなると信じていること」
この認識からすべてが始まりますし、
もし目の前の現実が、自分の望む現実でなかった場合には、「実はそれを望んでいたんだ・・」と、謙虚に受け止めて、受け入れることから、本当の変化や変容を始めることができます。
自分の望まぬ現実が現実化しているとき、そこには必ず“まだ捉えられていないメリット”が存在します。人間、本当にメリットがないことを叶えたりはしないからです。
その“隠れたメリット”に氣づけたとき、何をどう変化させればいいのか、同時に分かるでしょう。
『わたしたちはどんなモノでも創れる』
この中に、「法則も含まれるのだ」ということが伝わりましたら、幸いです。
もしよかったら、アンケートに回答ください。
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