「自分以外のモノを“自分の上”に置いた瞬間に、起こること」
たとえば、こんなことはありませんか?
少し、イメージしてみてください。
天然石のブレスレット、一時期とっても流行りましたし、特別な流行りがなくても、ずっと長いこと支持されているアイテムのひとつ、でもあると思います。
そのブレスレット「が」何かをしてくれる、そう思っていたとしたら、実は“ブレスレットを自分の上に置いている”瞬間かもしれません。
単純に、そのブレスレットをしているとテンションが上がる感じがする、つけていてファッション的に嬉しい、そんな風に「わたしが」ブレスレットを活かしている・活用している・使っている、という感覚があれば、『そのブレスレットをわたしが使役している』ということになり、自分の上に置いている状態ではありません。
他にもたとえば、神社で買えるお守り。
特に金運にまつわる神社では、ピッカピカの金色の生地のお守りを見かけることがありますし、恋愛成就ならピンクとか赤でしょうか。たくさん魅力的なネーミングや効力のお守りがありますよね。
そのお守り「が」何かを起こしてくれると、意識的にも無意識的にも捉えている場合(特に“無意識的に”思っていることに氣づいたら要注意)、それは“お守りを自分の上に置いている”状態と言えそうです。
逆に、うちの小学生の娘がそうなのですが、お守りの名前や効力よりも、完全に「デザイン」を見ていまして、テンションが上がる飾りの一つとして、自分のおこづかいを使ってでも、欲しいと思ったお守りを買います。それは、生地屋さんで可愛い糸やボタンや工作用品を見つけたときと、まったく同じ雰囲氣なのですね。
この場合は、『そのお守りを自分の喜びのために使役している』ことになりますので、自分の上に置いているわけではなくなります。
この2例で、何となくでもイメージ湧きますでしょうか?
“自分の上に何かを置く”
これは、自分の上に置いた“何か”の方が、「自分よりも力が強い」ということを表しています。
つまり、同時に発せられるメッセージとしては、『自分には力がない』ということ。
ここで起こることは・・
きっと皆さんが大嫌いな、少なくとも好きではないだろう、
◆エネルギー漏れ
◆主導権を他に明け渡す
ということになります。
表面的に感じることとしては、“力が奪われている”感じがするかもしれないですが、実のところ、その原因は、『自分が自分の上に何かを置いたから』なのです。
先の例では、天然石ブレスレットやお守りといった、物質的なモノを挙げましたが、「人間」においても、まったく同じことが起こります。
「自分を生きている」感じがしない人というのは、“たくさんの人を自分の上に置いている”可能性が非常に高いと予測できます。
一見、楽な感じもするかもしれません。
誰かを自分より上に置いておけば、自分から意見をすることって、なかなか起こらないですよね。そうすると、その人との諍いのようなモノも起こりにくく、表面上の衝突など、面倒くさいことも起こらなそうです。
でも、その場合、意見をしないことを選んだというよりは、「我慢している」「飲み込んでいる」ことの方が多いかと思います。
すると、その我慢はいつしか溜まっていき・・地味にずっとストレスが強まっていくのに加え、最終的には自分がそれに焼かれるか、それを相手に向けて相手を焼こうとするか、はたまたその両方か、みたいな結果につながっていってしまいます。
どちらも、どれも、望みませんよね。
また、物質的なものを“自分の上に置いた”場合、自分から力が失われていく感じがするのもマイナス点ですが、さらにそれが「人型」だった場合、
たとえば、天使の置物とか・・
本当は、中身は「空っぽ」ですよね。ただの物質なので。
でも、そこに力を持たせているわけです(上に置くことによって)。
すると、決して歓迎はしたくないような目に見えない存在が、そこに入る、という現象が起こります。するとドンドン、その存在が力をつけていき、あなたは力を失っていく、という現象が起こることもあります。
あとは、その物質によって、意識的にか無意識的にか『人を縛る』ことをしている人もいます。(この場合も、無意識の場合の方がちょっと厄介です。どちらも、氣づきにくいため)
本当に良かれと思って、その人がある物質をあなたにプレゼントしてくれたとします。
その相手が、あなたからみて、「自分よりすごい人だ」「自分より偉い人だ」「自分より実績がある」・・etc という感じで、あなたにとって“上に置く対象”だった場合、そのプレゼントを身につけたり、飾ったり、目に入るところに置いたりすればするほど、『あなたはその人に縛られる』という現象が起こることがあります。
相手にはそんな意図がなかったとしても、仕組み的に、無意識下の隠れた願望として、そういうことが起こっているということは、十分にあり得ます。そんなコントロール(縛り)をしているなんて、そのご本人が認めたくないケースもあります。
どういうケースであれば、最終的に相手のことをどうこうすることはできませんから、わたしたちがそれぞれにできることは、“自分の上に「何か」を置かない”ということです。
それが、人であろうと、物であろうと、です。
このことをあまり意識したことがない場合、意識して周囲や人間関係を観てみると、意外と「たくさんのモノや人を上に置いていたなぁ!」と、氣づけるかもしれません。
わたしは何年も前から、少しずつ意識してたことではあったのですが、自分の上に置くことによってのメリットも少なからずあるため、実はなかなか手放し切れていなかったことに、今年はことごとく氣づかされています。
やっと今年、「もう繰り返したくないなぁ!完全に手放すぞ!!」ってところまで来たように思います。
最初のうちは、なかなか不慣れな感じでしたが、自分の上から「何か」を下ろすほどに、肩の荷がおりるような感覚と、そして何よりも、今まで以上の『自由』を感じています。
もしよかったら、アンケートに回答ください。
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