《カンタン開運アクションvol.24》「結果を回収」しよう

さて、皆さま、前回の開運アクションを読んで お墓参りに行かれた方は、何かその後に実感したことや感じたこと、氣づたこと、「こんなことが起こりました!」みたいな実体験など、何らか ありましたでしょうか。

こうしたアクションの楽しいところは、実践後に、このチャレンジの結果、どんな結果(現実)を回収ができるのかワクワク待っていられる、というところにあると思っています。

わたしの場合、8月下旬に、家族4人でディズニーの宿泊型バケーションパッケージが買えるぜ!という値段の航空機代をかけて、夫の実家の北海道に、お墓参りのために行ってきました。その後、8月末には各種SNSで即時報告させていただいた青ヶ島に、いくつもの奇跡が重なって行けることになるのですが、これは、ほとんど“人との出会い”がその道をつくり上げてくれたと感じているので、まさに守護霊さんのお仕事である「ご縁つなぎ」の恩恵を感じた結果となりました。それくらい、地元の人も複数の人たちが驚くほどの幸運が、いくつも重なっての青ヶ島行き&台風中の東京帰還だったのです。

“すぐに回収したなぁ!”と思える出来事でした。わたしの場合、こうした事が起こるのを「速い!」と言われることが少なくないのですが、これは“慣れ”“回数(やった量)”だと思っています。

というのも、わたしは少なくとも20年以上は「現実化」というものを追いかけて研究して、自己実験して検証して、さらに結果が出たことに関しては、カウンセリング等でも提案して人様に実践いただいて さらに検証する、ということを繰り返しています。

だから、“結果を回収する目やセンサーが発達している”、それだけだと思っています。それは、わたしからすると、何度もPCで文章を書いていれば、自然とタイピング速度が上がり、「タイピングが速いね!」と言われやすいのと同じことです。

(余談ですが、わたしはPCとか機器系のことは、昔から今でも、ずっと苦手です。すぐに得意な人に聞きます。ですが、タイピングだけは、初めてPCを持った大学のころから速かったので、すごくPCに長けている・PCが得意なんだろう、と誤解されることが多々でした。これも、わたしからすると“慣れ”“回数(やった量)”だけの話です。当時はタイピングが速いのが個人的にかっこいいなぁと思っていて笑、タイピング練習みたいなことをゲーム感覚で よくやっていたんですよね。それだけのことでした。タイピングが速い自分を、自分で誇りに思えるといいますか。そこに人の評価は期待していませんでしたし、そもそも人が評価してくるポイントだとも思っていなかったです)

・・と、少し話が逸れましたが、話を今日の本筋に戻しますと、『何かしら実践した後に、その結果を自分の目で確認しない・実感していない・経過観察して成果なり出たのかを観ていない』という人が多すぎると思っていて、その結果、「自分には実力がない」「自信がない」「結果が出ない・現実化しない」「運が悪い」なんて風に自分のことを結論づけているパターンが多いな、と感じています。

確認力・結果回収力が弱いと言いますか、わたしなりの表現にすると『本来 大切であるはずの自分自身に、本当に興味が無いんだな』って感じています。

もっと言えば、『実は自分のことを虐めるのが好きなんでしょう』くらいに思っています。

なぜなら、チャレンジさせるというコストや努力だけを自分にかけて、その結果、特に「良い結果」を回収しないのですから。こう書くと、残酷だな、って思いませんか?それと同時に、皆さんは、ご自身に対して どんな態度や姿勢を取ってますでしょうか。

何かをやった、チャレンジした、トライしてみた、動いてみた、「その結果どんな(良い)ことが起こったのか」、何かにトライする以上に、目をくっきりあけて観察したり、結果を受け取ったり確認したり、していますでしょうか?

こんな良いことが起こったのは、自分のトライのおかげだ、自分よくやった!!みたいに、自画自賛や自分褒めをしてますでしょうか。

していない、という方。

していないことが“謙虚”であるかのように思っている方もいるかもしれませんが、仮に、あなたが小学生だったとします。何かにトライした、たとえばその後、うまくいった。でも、誰もそれに氣づかないし、称賛してくれたり、褒めてくれたりもしないとして・・どんな氣持ちになりますか?

もしくは、目の前に5歳児や小学校低学年児がいたとして、その子の今や未来をイメージしたとき、大人である自分は どんな反応をしてあげたい、と思うでしょうか。

ちょっと置き換えて考えてみたら分かるようなことも、わたしたちは自分に対しては、辛辣な態度を取ってしまったりします。そんな方ほど、「人生うまくいかない」とか、誰かに何か不満や文句を溜めていたりするのですが、そりゃそうだろう、と。上にも書きましたが、『自分を虐めるのが、本当は好きなんだもんね』と、わたしなら思うからです。

自分を虐めて、自分が可哀想になって、自分が辛くなって、不幸だなって思って・・すべて『思いどおり』になっていますよね。

小学生だったら、特に低学年ほど、そのトライを褒めたり讃えたりした方が、明らかに目の前で歓ぶし、その後の成長にも良い意味で拍車がかかると思いませんか?大人だって本来、そうであることが ほとんどだと思います。(本当に自立している人は、人からの評価に良い意味でブレないし、一貫して謙虚なので、ちょっと ここからは除外されるかもしれませんが)

「結果の回収」は、『自分に興味が無ければ』むずかしい、もしくは、なんだかんだで やらない と思います。

今まで、たくさんの方を拝見してきて、本当に不思議でした。

なぜ、やるだけやって、その結果を見ない=回収しないのだろう。受け取らないのだろう。なぜ結果を回収せずに、その辺から見つけてきたような問題ばかりにフォーカスするんだろう。結果が出るって良いことなのに、なぜそれを観察しようと思わないんだろう。トライやチャンジする、という先行負荷もかけているのに なぜ・・?と。

でも、『実は自分を虐めるのが大好き』だったら分かるのです。逆に、死んでも結果を回収しないよね、特に良い結果ほど、と、とても腑に落ちます。真の目的は、そちらだからです。

自分に興味・関心が高い方ほど、自分のチャレンジやトライ=何らかの実行に対する「結果の回収」をキッチリ、しかも より合理的に(数値等はかるなど)行っている印象です。

これは、ことばを変えると、1mmでも『ある』ほうをしっかり観ているということ。

だから、結果を回収する人のところには、また確認できる何か(結果)が訪れ、かつ、それをしっかりキャッチする=カウントする、つまり『ある』と認識するので、再度その人の世界では『ある(結果が出る)』という世界が展開していきます。

同じ結果を受け取っていても、それを『ある』として回収するのか、見向きもしない(受け取らずに取りこぼす・スルーする)のか、それだけの違いで、わたしたち人間のその後・未来というのは、簡単に変わっていってしまいます。

さて、あなたは これから、どんな選択をしていきますか?自分の深層心理をしっかり押さえながら、自分自身を考察・分析して、かつ、どんな選択をしていくのか。しっかり「決めて」みてくださいね。

そして、決めたことが、未来しっかり現実化しているかどうか、その目で確認し続けてみてください♪

これは、こうしたことに今まで取り組んでこなかった人ほど、取り組みから結果を確認できるまでに時間がかかる可能性が高いので、一定の時間をかけて実践してみてくださいね。

※最後まで読まれましたら、ひとまず現時点でのアウトプットお待ちしています♪

今回の内容を読んで、実践してみて、時間が経過してから実感が湧いたり、氣づきや感じることが出てきました、後からでも、いつでも、またアウトプットしてくださいねー!


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