こんにちは、高井咲友莉です。
ここのところ、
起業してからの10年を振り返りつつ、
“自分は何をやりたいかなぁ”
ということを考えていました。
これまでを振り返ってみると・・
起業したころに言語化できた、
わたしが起業前から
提供するセッションはじめ
あらゆる動きのテーマは
『自分を生きる』
ことを後押しするもの。
「“他の誰でもない”
自分自身を生きよう」
という表現でも、
よく文字にしていました。
このブログのテーマも
『Individual』ですから、
自分「らしさ」とか
「唯一無二の自分」がテーマです。
⭕️自分自身とは誰か?
自分自身とは どんな人か?
忘れてしまっている人
⭕️自分を長く抑え込んできたために
もはや自分が何をしたいのか、
何を望んでいるのか、
キャッチアップできなくなった人
⭕️自分の外側に正解を探して
いろんなことをやってはみるけど、
上手くいかない・・を繰り返してる人
※上手くいかないのは
決して悪いことではなく、
“上手くいかない”という体験を通して
「自分からズレてるよ」って
教えてくれているんですね、現象が。
無意識が。“他者”というキャストが。
いつもみんなが全力で、
わたしたちの「ズレ」を教えてくれています。
自分を生きていない人の“口グセ”
タイトルにした
“これ「が」いい”に対して、
“これ「で」いいです”
というフレーズを
よく使っている場合。
自分自身を生きられずに
いろんな悩みを抱えていたり、
壁にぶつかり続けていたり、
また、それを
なかなか人に言うこともできず
(自分にとって大切だったり、
肝心であることを捉えられず
言語化できないことが多いため)
ほとんどの場合は、
人からツッコまれることもなく、
でも、何かしら
モヤモヤしながら生きてらっしゃる
場合が多いように感じます。
もしくは、もう
モヤモヤしていることにも
氣づかずに、
自分とつながらずに
生きてらっしゃる場合も。
(この場合の人が
この文章を読んでいたら
ある意味、奇跡です。
本当なら、引き合わないはず。
引き合ったということは、
ぜひ その意味を、
現象からのメッセージを
読み取ってみてくださいね)
小さい子が身近にいる方や、
自分の小さい頃を思い出せる方は
イメージしやすいかもしれません。
わたしたちの原型は、
5歳には完成する
と、言われてますので
イメージいただくのは
2〜3歳の子どもにしてみましょう。
「ぼく、わたし、
これでいいです」
って言っている子どもって
見たことありますか?
基本、いないと思います。
自分の子どもたちや
そのお友だちの子たちが
2〜3歳のときに
そう言っていたら、
わたしは強く違和感を感じます。
“よっぽど何か、
遠慮して生きてるのかな”
“この子の家って、
今、どんな状態なんだろう?”
なんて、お節介なことまで
考えてしまいそうです。
「妥協」や「いい人」がベースになっている
そうした癖が身につく理由は
人それぞれ、だと思います。
どんなキッカケでそうなったのか、
家庭環境かもしれませんし、
特定の、たとえば
母親からの影響かもしれませんし、
何らかの集団の中で
学習したのかもしれません。
理由は十人十色。
しかし、言えることは、
“これ「で」いいです”
というフレーズを
よく使っている場合、
その人は
『自分自身を生きていない』
可能性が非常に高いと思います。
「妥協」や
自分を後まわしにする
「いい人」であることが
日常のベースとなっている
可能性も非常に高く、
“いい人=どうでもいい人”
という、一見
残酷なことばの通り、
いいことをしているようで
誰の記憶にも印象にも残らない、
無難かもしれませんが、
何も起きない(ゾンビのような)
日常や生き方をされていることも
少なくありません。
表面上、無難であったとしても
社会的に波風立てずに生きていても、
自分の魂は喜んでいませんから
本当の意味で
人生に歓びを感じたり、
「生きてる!」という
生々しい臨場感を
感じられずに生きていて、
どこか虚しい、
“こんなはずじゃなかったんだけどな”
と、なんとなく感じてしまう日常を
ただ、生きてしまっている可能性が
非常に高いと感じています。
『その人自身を生きていない』し、
『本来の自分からズレやすい』からです。
日常的なことばを変える「威力」
“言霊”ということばがあります。
霊=パワー、エネルギーと捉えると
少し分かりやすいかな、と思いますが
「ことばには力がある」
ということは、
どんな人であれ日常の中で
感じられることが多いかと思います。
その“ことば”の力を借りましょう!
やること自体は、
それこそ、ことばを覚えた
小さい子どもたちでも
簡単に実践できる内容です。
どんなことであっても、
「これがいい」
ということばを使うようにします。
たとえば、
「夕飯に何が食べたい?」
と訊かれたときに、
「なんでもいいよ」とか
「○○でいいよ」とかじゃなく、
『◇◇がいい』
というフレーズに
当てはまる返事をする、
ということです。
お手本は、子どもたちです。
我が家の子どもたちを
見てても、思います。
「これで(いい)」という
言い方は、まず、しません。
・ラーメンがいい!
・今日は葡萄じゃなくて
アイスがいい!アイス食べる
・公園に行きたい!公園がいい
みたいな感じで。
「で」ということばを
特に無意識的に
連発して生きているほど
このワークは
とてもむずかしく感じたり、
考えてしまったりするかも
しれません。
でも、そのプロセスすら、
『自分自身を取り戻す道のり』
として、愛ででいただけたら
と思います。
やってみて、
何か変化やおもしろいことが
起こったら、ぜひ
問い合わせフォームなどから
教えて(ご報告)くださいね^ ^
・・というわけで、
冒頭の
“自分は何をやりたいかなぁ”
という問いへの
クリティカルな回答は
まだ見出せていないのですが、
考察をしながら思いついた、
“これは一旦シェアしたいな!”
という内容を書きました。
何かしらの氣づきのキッカケや
成長したい、
「自分を生きるんだ」と
感じている方の応援になれば
とても嬉しいです。
※周りに今回の内容が
必要そうな方がいたら、
“誰か”のお顔が浮かんだら、
ぜひURL等、
シェアをお願いいたします。
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